こんいろきゃべつ

つれづれなるままに

文明崩壊「蠅の王」

W・ゴールディングの「蠅の王」。

あまりメジャーな小説ではないですが、面白いです。

スナック考察です。

 

 

未来における大戦(第三次世界大戦を想定)のさなか、イギリスから疎開する少年たちが乗っていた飛行機が攻撃を受け、南太平洋の孤島に不時着する場面から物語が始まります。

大人のいない世界で子供たちは自分たちを指揮する隊長を選びます。はじめは互いに議論を交え、秩序だった生活を送りますがしだいに少年たちは心に巣食う獣性に目覚めるのであった。

常識を持ち続けている少年たち」と「殺しの衝動に目覚めた少年たち」との内部対立から陰惨な闘争へと駆り立てられていく。少年漂流物語の形式をとりながら、人間の在り方を鋭く追及した問題作であります。

 

漂流物語形式とは?

何らかの事情により孤島へ漂流される物語。

有名な作品はジュール・ヴェルヌ作『十五少年漂流記』、ジョナサン・スウィフトガリバー旅行記』がある。『十五少年漂流記』は島に漂流された子供たちがみんなで協力して困難に立ち向かい、乗り越えるという典型的な冒険小説といえます。

しかし、今回取り上げる『蠅の王』では『十五少年漂流記』を悪の方向でパロディ化しています。

 

 

では、なぜ『蠅の王』が他の漂流物語とわけが違うのか。

それは決定的に人間――とりわけ子供の無邪気さゆえに表出する陰惨な残酷さが取り上げられているのが要因の一つだからです。

十五少年漂流記』『ガリバー旅行記』などは人間としての「悪」を描いていない。人種差別的な表現はあれど、本質的な人間の「悪」はそこには存在していない。『蠅の王』は確固たる殺意を抱き、文明人から野蛮人へと変容する姿が如実に描写されているのが特徴です。

 

この文明人から野蛮人、秩序だった生活から狂気へ陥るのには段階があります。

それは作中のモチーフによって分析できます。

 

1)幽霊あるいは獣(後に落下してきた兵士の死体だとわかる)

⇒子供たちが怯える原因になった存在

 

(2)豚の首

⇒ジャックという少年率いる狩猟班が豚を惨殺し、首だけを立てた木の枝に突き刺したもの。これは後に落下してきた兵士の死体をベルゼブブと見立てて、豚の首を捧げたもの

 

(3)法螺貝

⇒集会の招集、法螺貝を持つ人が発言権を得るため文明的役割を持っていた。

その象徴は豚のように太った少年ピギーにも同じようにいえる。後に彼は狩猟班によって殺害されてしまう。その瞬間文明は崩壊した。

 

注目したモチーフは秩序がなくなり、狂気に陥る段階を表しています。子供たちが無人島に(1)の幽霊がいると認識した瞬間「恐怖と畏敬」の念に囚われた。良識をもったラーフという文明の役割をもつグループは恐怖を感じ、狩猟班たちは畏敬の念を感じる。

その幽霊(獣)に畏敬の念を感じた狩猟班は豚の首を兵士の死体(ベルゼブブに見立てて)に捧げる。この儀式めいた行動から彼らの殺戮衝動が本格的に動き出す。

最後のシーンでラーフ(隊長:文明)とジャック(狩猟班:殺戮)の精神面の内部対立から肉体的の戦いのさなか、秩序と文明を象徴していた法螺貝が破壊されてしまう。

その法螺貝が破壊された瞬間に文明も同じように崩壊してしまった。戦いに巻き込まれた文明側の豚のような、合理的思考を持ったピギーは狩猟班によって殺害されてしまう。

儀式で使われた豚と重なってしまうのは言うまでもない。

 

物語の中盤で落下してきた兵士の死体は、無人島でなんとか保たれていた秩序に対して「恐怖・闇・悪」といった負の要素をもたらした。

そして、子供たちへ恐怖やベルゼブブの存在を知らせるため、あるいはベルゼブブが体現化したものが兵士の死体なのではないかと。悪が舞い降りてきた瞬間でもある。

上記でも述べたとおり、子供たちが兵士の死体を認識した瞬間から物語の雰囲気が変容し、秩序だった規律ある生活から堕落と野生、殺戮へと徐々に目覚め始めるのだ。

これらの恐怖や狂気へと陥る構造はモチーフが一つずつ現れるたびに、作品の描写や雰囲気が如実に変わり、描写が鋭くなっていく様子は読み応えがある。

 

 

END